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さらば、スラヴァ・・・ [音楽のひとのこと]

行列というものがとにかく嫌いなぼくは、そういうところに行くのはできるだけ避けたい。
けれども、きょうは大勢の人たちの列に並んで、すみだトリフォニーホールに入った。
「ロストロポーヴィチを偲ぶ会~スラヴァよ永遠に~」がひらかれたからで、
誰でも参加できる会だったこともあり、多くの人たちがさまざまな思いを抱いて集った。
ぼくの前の座席には、サインのある新聞記事やスコアのコピーを携えたおじいさんがいた。
肉親や友人たちをはじめ、それぞれの人がそれぞれの気持ちで、偉大な音楽家を偲んだ。
まずは、在りし日の巨匠の映像が、日本と関係のある演奏風景を中心にして
編集されたかたちで流れ、阪神大震災の後に彼が呼びかけたコンサートで弾いた「サラバンド」、
『ドン・キホーテ』の死の光景をロストロポーヴィチが実況的に説いていく映像も含まれていた。
チャイコフスキーの弦楽セレナードの緩徐楽章が、呼びかけ人代表をつとめた小澤征爾の指揮、
新日本フィル、サイトウキネン、小澤音楽塾のオーケストラからの有志によって演奏された。
それは入院中の故人と話した「次のプログラム」のなかに含まれた楽章だった、と
長女のオルガ・ロストロポーヴィチさんは語った、過去形で父を語ることができずにいる、と。
ひとりひとりが献花をして、そのあいだスクリーンには、最後のコンサートとなった
新日本フィルとのショスタコーヴィチの記録映像が流れていた。すべてのカメラが映し出す
ロストロポーヴィチの表情があまりに人間的で、あまりに生々しく、
それだから偲ぶ思いは、どうしても悲しみや喪失感を遠ざけることができなかった。
(2007年7月21日@すみだトリフォニーホール)


なんでもない日には [音楽のひとのこと]

なんでもない日にも、なにかは確実に起こっていて、
なんにもしなかったし、ただお祝いの気持ちになっただけだけど、
きょうは友部正人さんの誕生日だった。たしか57歳のはず。
おめでとございます、とひとりごとみたいにぼくは呟く。

友部さんにはずっと長生きして、ずっと歌をうたい続けて、
ずっとあの素敵な笑顔で笑っていてほしいので、
誕生日なんてきっとあと何回あってもたりないくらいだ。

と、そんなふうにかんたんにいうのは、ほんとうにかんたんだけど、
じつはとてもたいへんなことなのだろう。それを友部さんは、
さらっと、とても自然にやってしまうので、ぼくらはまるで
当然のことのように受けとめるけれど、やはり偉大なことなのだろう。

たしか、昔の「麦マル」で、友部さんが目の前で歌ってくれた
「どうして旅に出なかったんだ」が、いまもぼくの心に刺さったままだ。
おまけにユミさんが「どうして旅に出なかったんだ」と電話で笑ったので、
まだ出会って少しのころのぼくはけっこうくやしかった。いまもだけど。

どうして旅に出なかったんだ、と何回も頭のなかで反芻して、
旅に出ては歌ってきた、友部さんのことを思った。
そうして、今年はデビュー35周年なのだよ。

ぼくが生まれた年には大阪へやってきて、
そしてまもなくレコードを出したというわけだが、
もちろんそんなことぼくは知りはしない。
それからあとのことを、あとからさかのぼって知った。

友部さんの人生にいろいろな人が行き交ってきたように、
いろいろな人の人生を友部さんの歌は訪れて、
そうしてそこにしゃがみこんでしまう。こんなふうにね。

ぼくはその足あとにできた水たまりをのぞきこむばかりだ。
それは、人のかたちをして、不思議と澄んで、とても深い。
なつかしい井戸みたいに、言葉や記憶や誰かのおしゃべりが、響いてくる。



あれからどのくらい

あれからどのくらい


ロストロポーヴィチさんのこと [音楽のひとのこと]

電話が鳴ったが、嫌な予感がしたので出なかった。
すぐに携帯が鳴って、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが亡くなったことが告げられた。

ショスタコーヴィチを演奏するのは自分の使命だ、
だから何があってもこの冬は日本に行く、と言って、
ロストロポーヴィチは昨年12月の東京を訪れたそうだ。

芸術家は自由でなければならない、とロストロポーヴィチは言ってきた。
自由の意味は人が属する環境によっても異なる、とそのときも語った。

大木が倒れたのではなく、地面がそれを支えきれなかったのだ。
たくさんの雨が降って、踏み固まったはずの大地にも、時は容赦なく過ぎる。

絶対に折れない樹はしなやかであるはずだ、とぼくは思っている。

好みを育てることは人格を育てることだ、とロストロポーヴィチは言った。
たしかに、そのようにして、ぼくは育ってきて、それがまた好みをつくった。

80歳になる頃までには、どれくらいの人がぼくのそばを通り過ぎ、
どれだけの人がぼくのなかに棲むのだろう。

ありがとう、と心から思えて、嬉しかった。
ありがとう、と少しは言えて、ほんとうによかった。


いつものように、ギターがわらう。 [音楽のひとのこと]

悲しい知らせがやってきて、
それで僕はずいぶんライヴに行っていないことに気づいた。
浅野祥之さんが亡くなってしまった。

その名前を思い浮かべただけで、顔の表情や弾き姿とともに、
ギターがたちまち頭のなかで鳴り始めた。いつも鮮やかに。
それで確実に嬉しくなってくるなんて、やっぱりよっぽどのことだ。

いっしょに演奏している人たちがみんな楽しそうに、
頼もしそうにしているのを、僕はこちら側からずっとみていた。
客席の人たちもほとんど彼らに近い気持ちになっていたのだと思う。

浅野祥之さんは、ブッチャーさんは、いつもそんなふうに
みんなの気持ちを鳴らしていて、それは、音楽
ずっと続くのだと、あたたかく教えられていた気がする。
あのギターがあの音があの人が耳の奥から熱くメロウに聴こえてきて、
僕たちはまだまだ踊らなきゃいけないんだと知れる。

心からの音楽は決して鳴り止むことはないし、
僕たちはずっと踊っていなくちゃいけないんだ、
そのことがはっきりとわかる。

ありがとうのほかに、いったい何が言えるだろう。
だから黙って、すると、やっぱり聴こえてくるのだ。




J&B

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This Is The Blues Power

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  • アーティスト: BLUES POWER
  • 出版社/メーカー: Pヴァイン・レコード
  • 発売日: 2007/04/20
  • メディア: CD


なんということだ・・・・ [音楽のひとのこと]

ジェームズブラウンが亡くなってしまった。

ジェームズ・ブラウンが亡くなるなんてこと、想像だにしなかった。
ずっと歌って、ずっと蘇って、ずっと威張っているんだと思ってた。
僕が子供の頃からゴッドファーザー・オヴ・ソウルだった人は、
だからずっとゴッドファーザーなんだと思ってた。なんてことだ。
ご冥福を祈るべきだろうが、いまはとてもそんなふうに思えない。
ジェームズ・ブラウンの歌を聴いた。ぜんぜん死ぬはずがなかった。
生きていくことはたとえ無様でも神々しい、いつもそう思わせてくれた。
そのジェームズ・ブラウンが死んだ。73歳で、今朝早く、病院で。
あり得ない話だった。悪い冗談だ。僕のような者まで、根拠もなくそう思うのだ。
きっとすぐに蘇るだろう。すべてをでっかく笑い飛ばすだろう。
それがJBだ。それが、ジェームズ・ブラウンだった・・・・。

"Get on up !"

http://news.yahoo.com/s/ap/20061225/ap_on_en_mu/obit_brown


忌野清志郎、再起の第一声は"I Thank You" [音楽のひとのこと]

サム・ムーアのブルーノート東京公演をチャボさんと観に行って、そこで御大から声をかけられ飛び入りで歌ったというニュース。17日夜のことで、その場にいなかったことを悔やんだ人は僕以外にも大勢いるだろうけれど、そこに集まっていた熱き人たちはこんな最高のサプライズにすごく喜んだことだろう。とてもうらやましい。曲は"I Thank You"。ドクターの許可よりも、もちろんミスターソウルマンの誘いが優先だ。鳥肌が立った、新人時代みたいだった、と忌野清志郎さんは語ったという。再起の第一声は祝福された。55歳の"新人"が、さらに輝かしく歩むソウル・ロード。それこそ、待ち焦がれた"夢助"の舞台だ。大先輩のように70歳超えても新譜を出してほしい。

「地味変」→ http://www.kiyoshiro.co.jp/topics/index.html
ニュース・ソース→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061119-00000018-spn-ent

I Thank You

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THE DAY OF R&B

THE DAY OF R&B

  • アーティスト: RCサクセション, サム・ムーア
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2005/11/30
  • メディア: CD


嵐を呼ぶ男、サイとの再会 [音楽のひとのこと]

嵐のせいか風が強く、傘を壊しながら世田谷に行く。「誰でもピカソ」の収録を控えたファジル・サイを訪ね、演奏すること、作曲すること、生きていくこと、などについていろいろと話をきいた。彼は顔いっぱいに笑いを浮かべたり、前のめりになったり、疲れて眠そうになったり、いろいろな表情を浮かべながら、ひとつひとつ丁寧な答えを返してくれた。誰にもサイにはなれない。

帰宅していろいろと作業を進め、夜たまたまテレビをつけたら、その「誰でもピカソ」に村治佳織さんがちょうど登場してきたところだった。二人羽織で「禁じられた遊び」を弾かせたりしていたが、肝心の彼女の演奏のところはちゃんと放送されないばかりか、ナレーションがもろにかぶってきたりして、なんだかもったいなかった。「ライラとソネット」という新しいアルバムをまもなくリリースする村治さんとは、来週お会いするので、なんだか奇妙な符合だった。


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