So-net無料ブログ作成
検索選択
theatrick ブログトップ

その夜明け、嘘。 [theatrick]

福原充則 脚本・演出の三人芝居「その夜明け、嘘。」をみた。宮﨑あおい、吉本菜穂子、六角精児の力の入った演技を楽めたのはよかったし、それはある意味まったく予想どおりでもあった。締め切りを前に逃げ出した漫画家と、漫画家志望のそのアシスタント、追いかける編集者を、それぞれの原型キャラクターとして、そこから作中人物や妄想人物になったりして何重にも流転する、という、まあ、言ってみればそれだけの物語なのだが、演技の面白さで笑わせる場面をいくつも連ねながらテンポよく走っていくのが身上、しかし結局は芝居全体をそれだけでは通して走りきれなかったという感じだった。才能のあるものとないものそれぞれの葛藤、というようなところへもちこんでしまうと、なんだかそれだけの安易な話になるようで、せっかくのドタバタがただのじたばたになってくる。最後のほうで、「漫画家じゃなくて大好きな漫画になりたかった」とか、最後の最後で「追いかけることしかできないやつに、逃げる気持ちがわかるか!」とか漫画家が叫ぶところだけがやけによかった。ってことは、この夜明け、やっぱり成功? なんか、タイトルだけでもう成り立っているようなところがあるけれど、それなら二時間近い冗長さはどうなんだという気もして。(2009年2月25日夕、青山円形劇場) http://www.sonoyoake.com/

イプセンの家 [theatrick]

イプセンの《ちっちゃなエイヨロフ》を、あうるすぽっとで観た。タニノクロウ演出で、俳優は勝村政信、とよた真帆、馬渕英浬可、野間口徹のクァルテットに、マメ山田、子役の星野亜門。

イプセンといえば昨冬、ぼくには久々のデイヴィッド・ルヴォー演出で、《人形の家》を観て、そこでは宮沢りえの演技がひときわ素晴らしかった。さて、《小さなエヨロフ》だが、この作品でもイプセンの底意地の悪さというのか、鋭い観察眼は、人間の愚かしい自己愛、脆さと傲慢さ、欺瞞と嘘を容赦なく晒していく。

イプセンの生きた時代環境、その保守性に対する革新や攻撃性という側面を除いてみても、その劇作には家庭という単位に素因数分解されつつも錯綜するような人間の関係性が透徹した目線で見据えられている。すべての愚かさをゆるして、彼らは救いのようなところへたどり着けるのかどうか。

今回の演出を通じては、ぼくにはやはり悲しいほどの愚かしさと傲慢ばかりがやりきれなく残った。リタの役どころは、からっぽに性格の変化がめぐるようにも思えるのだが、とよだ真帆では気の強さばかりが残って、最後の場面で訪れる一種の救済へは行き着けないように感じた。それも彼女を正当化する嘘くさいからくりと思うなら、見事に演じられていたと言えるのかも知れないが。

しかし、ヘンリク・イプセンがみるところ、家とはなんとも残酷な感情の墓場であることか。

http://www.majorleague.co.jp/stage/eyolf/

流浪の円環、ジンガロの《バトゥータ》を観て [theatrick]

ジンガロの《バトゥータ》を観た。ルーマニアの弦楽五重奏と10人編成のブラスバンドが対峙していたり、花嫁が出てきたり人生狂騒曲みたいに展開するのをみていると、どうしたってエミール・クストリッツァの映画音楽を思い出すひとは少なくないだろう。タラフ・ドゥ・トランシルヴァニアとファンファーレ・シュカールというのが2つのロマ楽団の名だそうだけれど、同じルーマニアでも地方的な出自が違うだけに編成だけでなく音楽も強いコントラストを示し、それがときには共振したりもする仕組みになっている。ブラスはクストリッツァ映画でも聴かれるトラディショナルの旋律を咆哮させたりもして、『アンダーグラウンド』や『黒猫白猫』の世界を、フランス流に優美に洗練しちゃうとこういうふうになるのかなどと、短絡的な思考も走りはじめる。しかし、生や死の感覚の収斂された感じには独特の美観があった。劇場という空間の質もあってだろうが、つまり、それらは陰翳であって、白日ではない。ライフの幻影がどこかで永遠に円を描くかのように、その劇はめぐり続ける。 (1月30日、木場公園ジンガロ特設シアター)
http://www.zingaro.jp/

騎馬スペクタクル・ジンガロ「バトゥータ」 [DVD]

騎馬スペクタクル・ジンガロ「バトゥータ」 [DVD]

  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • メディア: DVD



theatrick ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。