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closing time [on and on]

なんとか1日の仕事を終える。謝ったり、怒ったりで、日は暮れる。言いたくないことを言わなくちゃいけなくて、そういうことが続くと、なんというか徒労感がつのる。なんてのは古典的な愚痴で、こんなところでスぺースを汚すこともないので、また少し落ちる。だが、それでも少しくらいはいいこともある。ちょっとうれしいことも、あったりする。とにかく、という言葉が口をつくのはあたかも末な感じだが、こういうときは好きな音楽を聴いて眠るにかぎる。考えてみたら、朝からさっきのさっきまで、ほとんどなにも食べずに格闘していたのだ。きのうは月がきれいだった。きょうはだいぶ朧げだった。それだけのことなのかもしれない。ほんとうに、それだけのことなのかも。それで、トムを呼んでみる。久しぶりでも、いつも懐かしく、あたたかい。友だちのことを考える。明日か明後日に電話しよう、と思うが、それがいいことなのかどうかはわからない。この間もトムは歌い続けている。まったく、いい歌だ。少し早いけれど、きょうはもうおしまい。こんやはハイウェイの夢でもみるだろうか。



Closing Time

Closing Time




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広場主義者の午睡と夢想 [on and on]

10代の終わりから30代半ばにかけてのぼくは、れっきとした広場主義者だった。それで公園で短くはない年月を過ごした。それから少し経って、ぼくは通りの人になった。ときどき穴から出てきて、通りをわたって、また穴にもぐって。と、そんな感じだ。

公園は通りのなかにあるようなふりをして、じつはどこにもなく、そこらじゅうにあった。人はそれぞれが広場のようなものだから、というのが、ぼくの広場主義者時代の夢想で、それはまだ通奏低音のようにこの街の通りという通りに鳴り響いている。眠っていても、起きていても、だ。目醒めてさえいれば。

さて、唐突にそんなことを思ったのは、不調のさなかで、それでも窓と風のことばかり考えていたからだった。こんやは放浪の巨匠から自由の巨匠へと小さな伝言をした。どちらも自然体で、どちらもかけがえがなかった。あしたちもどこかで誰かと誰かがが出会い、誰かと誰かがすれ違う。きのうすれ違ったひととは、あした出会うかも知れない。いや、出会わないかもしれないが、ぼくたちはそのことにはきっと気づかない。ということにも、ほんとうはどこかで気づいているが、それが誰かは決してわからない。

さて、イスラエルから漂泊してパリに辿りついた人は、オーストラリアからロンドンへわたった人と、シドニーで出会い、そして東京ではたぶんこのまますれ違うだろう。それでも、お互いのことを思い出すのは、きっととても素敵なことだ。ぼくはずっと東京にいて、自分のこともままならないのに、きょうはそんなことばかり考えていた。ベネズエラの古い歌が、夢のように鮮やかに、またなめらかに、風から窓へ運ばれ、窓から風へととけていった。

そして、歌は、決して鳴りやむことがない。

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世界をブックデザイン [on and on]

福間洸太朗の弾くアルベニスを聴きに行った帰りに、印刷博物館 P&Pギャラリーで「世界のブックデザイン2008-09」展をみた。世界のブックデザイン、よりもむしろ、世界をデザインするブック、との出会いをひそかに期待しながら。思いがけず、そのなかにPatti Smithの"Land 250"が選ばれている。喜ばしい再会のように、ぼくはその符合を愉しみつつ、ゆっくりとページをめくった。技術的なことや美的なことのその前に、とにかくパーソナルな陰影に染めぬかれた写真集である。書きつけられた手書きの詩やタイトルも、すべてが彼女の筆跡を滴らせている。印画紙もインクも生乾きのようにすら思えて、けれどとても遠い時間に本のかたちに綴じられた記憶のような感触も同時に抱かされる。不思議な質感をたどって、やはりどこか漂泊するように、ぼくはそのなかを彷徨う。本を閉じて歩き出し、大曲の午後に、ぼくはカメラを向ける。写るのはセピア色調のモノクローム画像ではなく、褪せた色彩にはねた、のどかな東京の真昼である。それで、夢のようなノスタルジーを抱きながら、ぼくは孤独に蕎麦をすする。夢の続きが現実ではなく、またの夢であることを知る。そして、現実の続きは、突如夢に口をひらいた日常のなかに潜んでいる。それでも、パティ・スミスは同じ星のどこかにいて、やはりモノクロームの手触りで人間の光景をとらえているのだろう。同じ時刻、ぼくはまどろむように、蕎麦湯の残りを飲みほすことをためらっている。


Patti Smith: Land 250

Patti Smith: Land 250

  • 作者: Patti Smith
  • 出版社/メーカー: Fondation Cartier pour l'art contemporain
  • 発売日: 2008/05/12
  • メディア: ハードカバー



「世界のブックデザイン2008-09」
http://www.printing-museum.org/

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台風一過 [on and on]

昨日はまた傘をやられた。午後にインタヴューで出かけるまでは良かったのだが、その後、駅に戻ったところで突風が傘を裏返しに膨らませてしまった。わずかな間にも、ぼくはびしょ濡れだ。かくしてビニール傘は骨折し、ぼくの整骨の腕では完全なる快復はみこめない。地下鉄を降りると、もう風は収まっている。なんというか、昔ながらの懐かしい感じの台風だった。大型で停滞好きの昨今のやつらとは違い、淡白というのかあっさりしているというのか。たいへん日本的な気がする。まだまだ熱帯にはなっていないのだと思って少しほっとする。夜には風も雨も収まって、コンサートに出かけるのもわけない。それから、仮眠をとって原稿をひとつ書き上げると朝だ。台風一過の朝はなにげなく晴れて、それでぼくはなぜか"Frederick"を聴きたくなる。綴りから知れるように、先の取材で話したショパンではない。さっきまで、ベートーヴェンのことを書いていて、それはなんというか台風に属するところもあるが、パティ・スミスのほうは4枚目の頃には嵐はやんでいる。アルバム"Wave"ではどうしてもこの曲ばかりをくりかえし聴いてしまう。ところがベスト盤"LAND"だと次は"Summer Cannibals"なのである。ビートは滑らかに続くのだが、なんだかちょっとすごい。ちなみにその前は"Because the Night"で二曲の後は"Ghost Dance"なのである。いまは"We shall live again"というコーラスのところだ。 いずれにしても、外は晴れて、もう朝がきている。遠くで小鳥がさえずり、ぼくは眠い。



ランド(1975-2002)~グレイテスト・ヒッツ

ランド(1975-2002)~グレイテスト・ヒッツ




ウェイヴ

ウェイヴ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: アリスタジャパン
  • 発売日: 1997/11/01
  • メディア: CD



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松丸本舗で、待つ。 [on and on]

本が好き、というのは、もちろんだが、ぼくは本のかたちをしたものがとにかく好きだ。ページをひらく、指でめくる、という所作そのものが、おそらく演奏家が楽器を愛でるように、しっくりと身体になじんでいるのだろう。活字という整理されたかたちに折りこまれたなかから、得体の知れない想念や感情が渦巻いて立ち上がってくるその不気味さと均衡がたまらない。紙の平面に、渦や断層や跳躍や陥没や音響や臭気がたたまれていて、ページを開くたびにそれが何度でも起きる。そして、それは、いつも少し違う様相で立ち上がってくる。

といったことはいまさら言うまでもないのだが、愚直にもそう書き連ねたのは、22日に松丸本舗のプレ・オープニングに迷いこんでしまったからだ。本屋は本物を扱う、そんな矜持が厳しくも美しく伝わってきた。書架の間を数歩すすむうちに、ぼくはここに泊まりたいと思った。もし机さえ持ちこめたら何日居座ったっていいだろう。それはまさに夢の書架群で、図書館の分類や、自宅の窮屈な積み重なりのなかからは決して届かない迷宮と螺旋と綾なしが、誇らしいまでにそれ自体の連想や物語を謳歌している。

選ばれた本たちの量感ある個体の連なりと、その静寂の存在感に、ぼくはまず圧倒された。また、星座のように、あるいは銀河のように繋がりあい乱反射する、それぞれの偶然や必然の関係性に。知というものがある形状をとるとき、書物という歴史を貫通したメディアは、確かな質感で記憶と愛着を沁みこませるのにうってつけの場所だ。そうして、無数の美しい連鎖を歌いながら、さまざまな想念と思惟が書架という書架に隣り合い、乱数と呼応を愉しむように積み重なっていく。

そこには松岡正剛という人の手と五感が、本人の不在のかたちで充満している。もちろん、いたるところでぼくらはかの人の目や耳を感じるわけだが、彼がいまこの瞬間どこに潜んでいるのか、全体から特定の部分を探し出すことは不可能に近い。その人は、これらすべてを通過して、透徹した地点からさらに深く潜伏している。この膨大な書物の生態系のすべては、彼という知の通りみちで、通過と係留の交差点なのだろう。

つまり、これは巨大な交響楽だ。そして、無言の声明である。
莫大な記憶と忘却と回帰が明滅しあい、その音楽は決して鳴り止むことがない。

轟くような沈黙をたたえた、渦と断層のなかに、ぼくは茫然と、しかし嬉々として迷いこんだ。来た道を思い出すことも、帰り道を忘れることも、ここでは愉快な出会いのうちに冒険を鳴り響かせる。

松丸本舗で待つ。

ゴドーでも後藤でも、犬でも神でも、偏在でも不在でも、誰がやってきても何がこなくても、ぼくは一向にかまわない。ぼくは待ち続ける。呼びかける声はそこらじゅうにたたみこまれている。

松丸本舗で、待つ。


http://www.matsumaru-hompo.jp/


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へんな夢ばかりみるのは [on and on]

なんだか奇妙な夢を立て続けにみるのは、枕カバーが破れているせいなのだろうか。と思って、枕なしで眠ってみても、状況は変わらない。いや、夢のなかでは著しく変わるのだけれど。おそらく、花粉症で時空が少しゆがんでいるように感じられるのか、眠りがよじれているのか、そんなところなのだろうが、それでいてときに夢の映像はたいへんに鮮明であったりして、どうにもぼやけているというよりは、時空の軸がうまく整っていないようだ。と、ここまで書いてどんな夢かを記述しないのはひどいと思うのだけれど、それに書いても誰も迷惑はしないけれど、書いたりしないのはその続きをみる気がしないからで、いまここでうっかり思い出してしまってなんらかまたあの奇妙な空間に招かれるのがちょっと嫌なのである。なんというか街がおかしな建築ばかりになってしまったようで、そういう迷宮のなかを脈絡もなく連れまわされているのだ。しかも、その空間がとても狭くて、圧迫感があって、たぶん垂直とか水平の軸が少しよじれている。そんなところに窮屈に縮まっていたくないのだが、思い出そうとしてもその夢のなかには空の記憶がないのである。と書いてみて、それが二日くらい前、寝しなに眺めたプラハの新時代建築の本の残響であるような気がしてきたのだが、うかつなことは言えない。それにしても、どうして弟はあんなに奇妙な部屋にいたのだろう?と思ったとたん、そのままあの夢の続きを彷徨いはじめそうだ。今夜ぼくはたんに、すとんと、眠りたい。明日はせめてきょうくらいには早起きしたいのだから。


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見知らぬ声 [on and on]

きょうはいろいろな人の声が電話口で流れた。携帯になっても電話口というのかどうか、ちょっと怪しい。電話は電話の近くにいってするものではなく、身につけるものになった。いや、携帯電話が人々を身につけているのかも。充電をときどきしないと、切れたりするのかも。

そうしてしばらく話していると、聴きなれた声や久しぶりの声や、不在のアナウンスなどにまじって、ときどき話し手の声がノイズのように反響してくるのだった。知っているような、知らない声で、それはぼくを鏡のようにはさみこんでいった。





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