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創造の精神、技術の精神 [a leaf of air]

この春で退任される藝大の最終講義にかえて、野田暉行さんの作品を集めたコンサートが開催された。まずは藝大3年のとき、池内友次郎クラスの提出作品として作曲されたという「ホルン三重奏曲」 を、澤和樹(vn)、野田清隆(pf)、松坂隼(hrn)のトリオが演奏した。休憩後は、「音楽の新しい時」というテーマのお話に続き、2000年に作曲された「弦楽合奏のための断章」、その前年秋に書かれた「ファンファーレと祝祭音楽」が作曲家自身の指揮による東京藝大チェンバーオーケストラ(後者は学内の有志を加えた大編成)で演奏された。

「弦楽合奏のための断章」は、作曲家にとって、独奏楽器を伴わない初めての弦楽合奏作品にあたる。久しぶりに再演を聴くことができたが、緊密な構成と旋律の魅力に溢れる素晴らしい曲だと改めて思った。これはぼくにとっても思い入れの深い曲で、鎌倉芸術館の仕事をしていた時代に、当館専属の鎌倉芸術館ゾリステンの新作委嘱の一環として、ぜひにと思ってお声がけした作品だ。いつものように、「書いてほしい」ではなく「書かれるべきだ」という確信をもって願い出たわけだが、しっかりとしたテクスチュアをもつ密度の濃い作品だけに、名手揃いの演奏家たちがいつに増して真率に取り組んでいる姿が印象的だった。

それももう8年も前の話だと思うと、時の流れの早さに戸惑う。その後しばらくして野田暉行さんは母校藝大の副学長や理事のお仕事のために、作曲の筆をいったん休まれていたようだが、退官後の創作がいよいよ待ち望まれるところだ。「音楽の新しい時」という話のなかで、「創造の精神と技術の精神が一致するすることが必要だが、現代においてはそうした作品がほとんど書かれていない。99%は一致していないと思う」と、野田暉行さんは強い思いを籠めて語られた。その言葉を頭のなかで反芻しながら、寒い夜の上野公園を横切って帰途に着いた。

(「野田暉行 藝大退任コンサート」 2008年2月19日@東京藝術大学奏楽堂)


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'Sweet Soul, Blue Beat' [a leaf of air]

再会を重ねて、僕たちはどこへ行く? パーティーはいつしか終わらない夢をみる。終わらない、ということは、変わらないということではなく、変わりつつ、いつでもまた始まる、ということだ。心のなかには、いつもそういう広場があるといい、友人たちが好きに踊っているような。

佐野元春 & THE HOBO KING BAND TOUR 2008 "SWEET SOUL, BLUE BEAT"。水瓶座の季節に始まったツアーは、"棟梁"の好きな魚座いっぱいまで続く。11公演めの神奈川県民ホールで、ちょうど半分の行程を終えた。ぼくは初日の伊勢原市民文化会館以来の"再会"だった。1月22日の伊勢原は、とても寒い夜だった。始まったばかりのツアーは、エンジンを回しながら、いくつもの創意が凝らされていく、その生地の温かさが魅力的だった。つまり、それは熟成の予感であり、近い未来への約束だ。ふだんはあまり訪れない土地を含み、各地をまわるツアーは、さまざまな会場でさまざまな世代のさまざまな生活と出会っていくのだろう。

横浜でのライヴは、上機嫌な熱気に包まれ、3時間をゆうに超えてヒートアップした。ステージと客席の一体感には強い信頼があり、縁の地ならではの独特の交感が通う。美しい映像に導かれてショウが始まると、電子ピアノに座った佐野元春が80年代の懐かしいチューンを弾き語る。ぼくは初期のライヴステージは観たことがないけれど、今夜はクレイジーに叫ぶのではなく、大人らしい慈しみをもって丁寧に歌い上げるのが心を打った。過ぎていく時間は、ただ過ぎていったわけではなく、どこかに降り積もり、いまに続いている、という確信が響く。「ハートビート」で前半のひとつのピークを迎えると、97年の夏にウッドストックでレコーディングされた名作『THE BARN』からのナンバーが披露される。初日では他の楽曲も聴けたが、この日は「7日じゃたりない」と「ドライヴ」。

休憩をはさんで、バンドのインストゥルメンタルで明るく再開されると、『COYOTE』の3曲、トリオで演奏された「レイナ」にはじめる『THE SUN』の4曲が堂々と披露される。「ワイルドハーツ」で再び80年代の楽曲を訪ねると、「ロックンロールナイト」、「約束の橋」、「サムデイ」と、幅広い世代のオーディエンスに訴えかけるに相応しいヒット・ナンバーが続く。そして、デビュー曲「アンジェリーナ」で、始まりの「グッドタイムス・バッドタイムス」とひとつの円環を描くようにステージがいったん閉じられる。パーティーは「ハッピーマン」からのアンコールまで熱く走り抜けた。

初日からみるとやはりスタイリッシュで、さらにタイトに引き締まったアンサンブルが聴けた。メンバーが随所に遊び心に溢れた工夫を施しているのは、おそらく初日から同じだが、その自発性な着火に余裕がうかがえるし、この日はとくに上機嫌に自由を謳歌しているようにみえた。ステージの愉楽と熱が、ダイレクトに客席と響きあうのが大人の魅力だ。とくに『THE BARN』からの楽曲は、THE HOBO KINGのアンサンブルの成熟を示していただけに、複雑な魅力が鏤められているが、この日はぐっと逞しく、大地に根ざした音像で伝わってきた。ツアーは22公演のまだ中盤だが、楽日までのさらなる進化がいっそう楽しみになった。

(佐野元春 & THE HOBO KING BAND TOUR 2008 "SWEET SOUL, BLUE BEAT"
 2008年2月17日@神奈川県民ホール)


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バカラックのピアノ [a leaf of air]

イニシャルはBB。だけど、Blues Boyのことじゃない。バート・バカラック。今年80歳を迎えるいまも健在だ。それを確かめに、というわけではないが、11年ぶりの来日というフル・オーケストラを従えてのコンサートを聴きに行った。ハーディングはあと60年続けたいと言ったけれど、バカラックがハル・ディヴィッドとコンビを組んだときから半世紀が経っているのだ。

この日のコンサートは、2時間ちょっとで、40曲近くを演奏した。もちろん、メドレーも含めて。ほんとうにバカラック満載で、極上スウィートだった。「このトリップのちょうど前に書いたばかり」という「フォー・ザ・チルドレン」という新曲や2005年の最新アルバムからの近作を含めて、どの曲も素晴らしく、夢のように耳になじむ。初期のヒットを除けば、どのメロディーにも聴き覚えがあるし、仮になかったとしても、なんだかよく知っている感じだ。作品を彩るのは、バンドとシンガーとオーケストラ。しかし、イントロはいつもバカラックのピアノから始まる。大きな手が鍵盤に軽く触れると、溢れ出すように音楽が始まる。そこから、ハーモニーが波紋みたいに、あるいは跳躍するみたいに、広がっていく。その段階では、バカラックはピアノ椅子から身体を浮かせていたりする。

「ヒットを飛ばすのはかんたんだと思っていた。だけど、やってみると、これがなかなか難しくて、最初のヒットまで一年半かかった。それから2つめ、3つめのヒットがやってきた」とバカラックは笑った。そして、「いま聴くと驚かれるかも知れない。まるで、べつの人が書いたみたいだから」と初期作の紹介をした。しかし「一年半」を、「一年半も」というところがすごい。考えてみたら、それからたぶんずっと書き続けているわけだから、それは確かに試行錯誤の空白なのかも知れないけれど。

バカラックのピアノは、にくいほど自然で、ちょっといい加減なのに洗練されていて、素晴らしかった。あの音楽にはこのピアノしかないんだ、という歌が詰まっていた。ここぞというときに披露された本人のヴォーカルも、よれよれにしゃがれて、だけどすごくよかった。

(An Evening with BURT BACHARACH and The Tokyo Newcity Orchestra
2008年2月17日@東京国際フォーラム ホールA)


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Go Go Seikyo ! [a leaf of air]

プロコフィエフNo.5と、ショスタコーヴィチNo.5。金聖響が東京シティ・フィル定期で指揮したのは、スターリン時代のソヴィエトが標榜した社会主義リアリズムのもとで生き抜いたふたりの作曲家の第5交響曲という苦難のカップリング。1945年、1937年というそれぞれの初演の時代から、もう6、70年の年月が経ったことになる。

金聖響はこの強烈な2作品でも、作品の構成をしっかりと捉え、綿密に描き出すことに努める。表現効果ばかりを追って、演奏を外交的な鮮烈さに回収してしまうのではなく、端正ともいえるまっとうな音楽づくりを一貫することで、書き遺された作品の内実に正面から肉薄しようとした。もちろん、そこには鋭敏な切れ、運動や躍進、感情の忍耐や爆発といったダイナミズムが孕まれ、そうした方向でのこの指揮者のすぐれた資質も自ずと発揮される。とくにショスタコーヴィチの第5交響曲は、金聖響の知性的な構成と、テンションの周到な持続、鋭敏な感性、すぐれた運動感覚などが幅広いレンジで、バランスよく抽き出される良いレパートリーだと思う。ていねいに組み立てられた、美しい瞬間がいくつもあった。

実際の現象として立ち顕れる響きにはさらに突き詰めた練磨と確信がどうしてもほしいところだが、オーケストラが指揮者の志向する音楽に必死で追いつこうとする健闘姿勢と求心力は伝わってきた。こういう対話が日々積み上げられる先に、お互いの目指すものが重なってくるのが自然なのだが、現実は必ずしもそうではない。かといって、それを最後まで投げ出さずに振り絞る精神力は、作曲家が過酷な社会的現実をサヴァイヴしていくときの執念と同じではないにせよ、時代が変わってもどこかしら通底するものでもあるだろう。多くの人が誠心誠意を注いで創造表現に臨む熱というものが失われたら、冬はただ長く、辛いだけの季節になってしまう。そういう意味での希望と情熱が感じられたのは、良いコンサートの証だ。

(東京シティ・フィル 第216回定期 金聖響 指揮
プロコフィエフ:交響曲 第5番 変ロ長調、ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調
2008年2月15日@東京オペラシティコンサートホール)


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悲劇的・・・ [a leaf of air]

ダニエル・ハーディングが指揮する東フィル定期、マーラーの交響曲第6番の初日を聴いた。2006年4月にマーラーの第2番で初共演したときと比べると、オーケストラとはずいぶん友好的な関係にみえる。コントロールをいくらか弛めて、オーケストラに歌うことを許しているようにも聴こえた。そういう意味では、無理が過ぎない演奏のように思える。しかし、ハーディングの強度に徹底したこだわりや緻密な要求が、最近ぼくが聴いたなかではいつになく控えめというのか穏健というのか、厳しく突き詰めていく、あのマッドなまでの希求力とテンションが、さほど激しく表出されてはいなかった。

しかし、真に悲劇的だったのは、作品や演奏のことよりも、ぼくの座席の周辺環境。昨年から券を買って楽しみにしてたのに、なんでこんなに辛い目に合わなきゃいけないの、って、修行がたりないのかも知れないけれど、美はいつも醜い現実と隣り合わせなのだ。

東京フィル 第36回東京オペラシティ定期 ダニエル・ハーディング指揮
 マーラー:交響曲第6番 2008年2月14日@東京オペラシティコンサートホール)


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THE KING OF LIVE, dream of life [a leaf of air]

生きることを信じていればこそだ。
歌い続ける精神の圧倒的な輝かしさ。

忌野清志郎、完全復活の3時間。

清志郎は、太陽のようだった。
身体中がほんとうの光を放っていた。
歌は武道館のすみずみまで隈なく照らし出した。

仲井戸"CHABO"麗市のギターが感情いっぱいに鳴り響く。
新井田耕造の、あのタイトなドラミングで、"RCサクセションがきこえる"。
梅津和時と片山広明が暴れまわる。いつかどこかで観た風景。
もしかしたら、これはほんとうに休止が解かれるかも、の予感。
三宅伸治がほんとうに嬉しそうに笑いながらギターを弾いている。

最新のバンド、Nice Middle & New Blue Day Hornsでの
快進撃はどの曲もタフに切れていてよかった。
ステージ終盤、恒例の"ガウン&布団SHOW"が
これほど嬉しく思える日がくるとは思ってもみなかったことさ。

ぼくは彼らの背中をずーっとみつめていた。
しかし何度となく彼らは振り返って笑いかけた。

まばたきするのも惜しい気がした。
ぼくはじっと目を見開いていた。

いちばん泣きたいはずの人が堪えているのだから、
ぼくも泣かないと思っていたけれど、それはやはり難しかった・・・・。

感謝。元気でここにいてくれて、ほんとうに嬉しい。

すべてのファン心理のなかでは、独占の欲望と共有の願望が綱引きをするものだ。
しかし、清志郎を敬愛する人たちの間では、シェアする気持ちがすべてを包み込む、
自然で誇らしい歓喜が武道館満面に溢れていて、それはほんとうにgracefulなものだった。

「忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館 2008年2月10日」


THE KING OF LIVE

THE KING OF LIVE

  • アーティスト: RCサクセション
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1998/12/09
  • メディア: CD


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技術と哀愁。 [a leaf of air]

雪の渋谷で、"Tanguera"(http://www.tanguera.jp/)を観た。アルゼンチン発のタンゴ・ミュージカルと聞いていたけれど、みんなが歌って踊るわけじゃなくて、決めのところで、いくつか女性シンガーの歌がはさまれるくらい。あとはタンゴ音楽のなか、ドラマティックに、スタイリッシュに、めまぐるしく踊り続ける。投げ出したり、弾んだり、旋回したり、組み合ったり、戦ったり、愛し合ったり。傷ついたり、傷つけたり。夢みたり、絶望したり。すべてのドラマが快速に進行する。始まってから80分間、高い技術のダンスが次々と、終始ハイ・テンションで展開していくので、スピーディーなアイスホッケーの試合を観るような感興はあるが、濃すぎてかえって単調な感じにもなる。強く残るのは、技術と哀愁。身体というもののシンプルな制約と弾力が、ステージを様式的に組み上げる。それにしても、とぼくは思う、いつか歌って踊れる文章を書いてみたい。

(『Tanguera』 2008年2月9日、オーチャードホール)


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