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中田英寿氏のサッカー選手としての現役引退にふれて [FOOTBALL!]

いろいろな人がそれぞれの立場で、たくさんのことを思ったり言ったりしているのだろう。
中田英寿選手の現役引退の知らせを聞いたとき、
僕はそのどれも聞いたり読んだりしたくないと思った。
寡黙な本人があれだけ多くを語っているのだからそれ以上は望むべくもない。
そうは言っても、ただひとつだけ例外はあって、
名波浩が何を思うのかだけはとても気になった。
ジーコが何を言うかもやはり知りたいが、二人が公に何を語るのかは、だいたい見当がつく。
それでも、名波の言葉はどこかで聞くか読むかしたいと思った。

僕が最初に好きになったサッカー選手はジーコで、
何度でも言うが、僕が古今東西でいちばん好きなサッカー選手は名波浩だ。 

だから僕は1998年のナントにクロアチア戦を観に行ったのだ。
もしかしたら、これが名波の最初で最後のワールドカップになるかも知れない、
という悲しい予感がしたからだった。
そして、彼がベンチに下がった瞬間に、僕のフランス大会は終わった。
その後、2000年のアジア・カップが代表としての名波浩のもっとも美しい舞台だった。

話を少し溯ると、加茂監督時代に、名波浩は代表のボランチのポジションに入った。
トップ下から守備の意識をもってゲームを組み立てる位置に下がったのは、
中田英寿を中心にしたチームづくりをするためだ。そして、その名波の後ろを、
キャプテンの山口素弘が物理的、精神的に支えてきた。
中田がフランスのワールドカップで輝きをみせたのは、
名波と山口の二人が「やりたいように攻めてこい」と声をかけ、
「好きにやってくる」と中田が応えて臨んだ試合だったという。
全敗の前々大会での活躍が、世界のNAKATAへの導火線だった。

2002年の日韓大会で、トゥルシエとも和解した名波は、
チームでも最高のパフォーマンスをみせながら、
最後の最後で故障により代表の枠を外れた。
名波と中田の連繋をみられなかったのはほんとうに残念だった。
そして、その大会で、中田は名波のポジションに下がって、
ゲームをコントロールし、そして稲本が爆発した。

2006年になった。ジーコ・ジャパンのサッカーは、
これまででもっとも高い次元を夢みた日本代表で、
本来ならば中田英寿がもっとも輝くべきチームだった。
だが、中田はチームのために献身し、終始走り続け、
多くのシーンで自己を犠牲にしてもチームを機能させようと努めた。
中田がもっとも創造性を発揮するポジションは攻撃的な中盤だと、
僕は信じているので、それは痛々しく苦しい時間でもあった。

あえて誤解を避けずに言えば、藤田俊哉に出会って以来トップ下を愛し続けた名波は、
ジュビロでは攻撃の中心にいたが、代表では中田を支えるボランチに徹した。
名波不在の日本代表で、中田は名波の仕事もこなしつつゴールにアシストに貢献した。
そして、さらに4年が経ち、いくら中田が引いて名波になったとしても、
代わりに中田になることは他の誰にもできなかった。

魅力的な中盤の構成を核にしたジーコ・ジャパンと、
トゥルシエと、さらに前の岡田ジャパンを大雑把に比べたって、
いまさらなんの意味もないだろう。
けれど、それでも攻撃的な中田英寿をみたい僕は、
もし彼の背後で中盤をつくれる選手がもう一人いたら・・・・、
と思わずにはいられないのだった。中村俊輔にしたってそうだ。

さて、中田英寿選手はプロはやめても、サッカーをやめることはない、
必ずどこかでボールを蹴り続けるだろう、と記していた。
彼がほんとうに純粋にサッカーだけを楽しむいつかどこかの芝生で、
名波が得意げにパスを出す姿を、僕はいまから夢みている。

その日のためにも、
中田英寿さん、最上の人生を。

そしていままで、
僕たちにサッカーの厳しさを教えてくれてありがとう。




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コメント 2

noric

お疲れ様と言いたいですね。
by noric (2006-07-09 16:17) 

transblue

noricさん、コメントありがとうございました。
人生はいろいろですね。
by transblue (2006-07-10 00:07) 

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